レクシプローラの英語放浪ブログ

あなたの英語の「わからない」と「なぜ」に答える英語学習ブログです。

生徒たちへ

あるとき親から聞いたのだが、私は中学生の時に将来何になりたいかと聞かれて、「塾の先生」と答えていたらしい。

 

大学に入ったら、塾か家庭教師のバイトをすると心に決めていた。それこそ中学から、学校や塾の先生という職業に興味津々だったし、友達に聞かれて勉強を教えるのも好きだったので、その延長にあるような仕事に魅力を感じたのだと思う。

 

最初に入った個別指導塾は規模の小さなところで、生徒数も講師の数も、あまり多いわけではなかった。人と話すことは割と得意な方だった私は、コミュニケーション能力が高いと思われたようで、塾長がえらく私を気に入って、バイトしはじめてすぐに、たくさんの授業をさせてもらった。まあ講師がすくないので、授業に多く入れるのは、今考えれば当たり前のことだが。

授業を実際にやってみると案外難しくて、生徒がどこがわからなくて、何を教えて欲しいのか、それを把握するのに最初は苦労したものだ。まあそれも1・2ヶ月くらい経つと適応してきて、自分の中で「今の説明わかりやすかったかも。違う生徒にもしてみよう」みたいな瞬間が増えていく。ちらほら生徒が「わかりやすい」とか「授業面白い」とか言ってくれるようになって、行けば行くほどバイトが楽しくなった。そういう、先生である自分に対する、小さな評価言のようなものから、だんだんその塾・教室という空間の中で、自分の存在意義が見出せるようになった。「自分の授業を必要とする人がいる」というと傲慢にも聞こえるだろうが、そんな気がしなくもなくて、授業が好きになっていった。

 

最初の塾は1年半ほど勤めたのだが、一年目に担当した中3たちが卒業した後は生徒が少なくなってしまって、授業自体もその分減ったので、次の塾へ移った。ほどなくして、最初に勤めていたあの教室は、閉校してしまった。

 

2つ目の塾は前とは違って、1対1で授業をする塾だった。脳のリソースをすべて一人の生徒に避けるので、授業が大好きな私にはもってこいの環境だった。その塾に入ってから、成果が割と評価されるようになって、任される生徒がどんどん増えていった。まあ一応、塾講師経験者だったので、塾長としても使い勝手の良い人材だったのだろう。指導をし始めてほどなくして、だんだんと、「先生のおかげで成績が上がった」と、生徒からも保護者の方からも、塾長からも言ってもらえるようになり、自分はもしかしたら教えることが向いているのかもしれないとここでようやく思い始めた。「好きなこと」が「得意なこと」に変わった瞬間だった。

思えばこういう経験は自分にはなくて、別に英語は好きだけど特別特異なわけでもないし、中高でやっていたバスケットボールも、人並み程度の実力だ。「好き」であっても、それが「得意」になる経験は、少なくともすぐには思い出せないし、おそらく無い。

 

話を戻して、気づけば受験生ばかりを任されるようになった。前の塾でも感じていたのだが、受験生の指導は非常に楽しい。特に高3ともなると、こちらも持ちうる知識を全くセーブしなくて済むし、何より、教えること(教えたいこと)がたくさんあって、彼らはそれを必死になって、能動的に吸収しようとしてくれる。教えがいがあるとは、こういうことなのだろうか。

 

2つ目の塾に来て半年、年度がかわって私が大学3年生になった年から、生徒が指名をくれることが増えた。いうまでもなく、そんなホストクラブみたいなシステムは存在しないのだが、どうやら生徒の間で私の授業の口コミがやや広がっていたようで、塾長に「○○先生にしてください」と講習やレギュラーのコマを買ったり、なんなら親にも直談判する子までいた。この辺でなんとなく、「必要とされている」ような感覚を抱いた。自分を必要とする人間がいることを、ここで初めて実感した。私は多分、塾講師という職業に、少しくらいは向いているのだと思う。

 

授業受けてくれた私の生徒諸君。君たちには、本当に感謝している。いつも受験が終わると生徒やその保護者から「ありがとうございました」と言われるが、本当に感謝の言葉を述べるべきは私である。私が教えたことを忠実に守って、必死に勉強して、成績を上げて、夢をかなえて、その喜びを私と分かち合ってくれる君たちから、私はいつも幸せを享受している。

君たちに教えていた時間は、私にとってかけがえのないものだった。教えている時間だけは、嫌なことや思い出したくないことを全く考えずに済んだ。自分も誰かにとっては、少しくらいは役に立つ人間なんだと、そんなことを思えるようになった。今となっては、いったい何人に教えたのかもわからないが、たくさんの生徒に支えられて、今の自分がいることは間違いない。素敵な時間をくれてありがとう。君たちに教えられた時間が、何よりも幸せでした。

 

君たちもどうか、幸せでいて下さい。