英語の成績が急に頭打ちになる現象
数年ほど塾で英語を教えていて、(模試などで)英語の偏差値が60手前くらいで、途端に伸びなくなる、という生徒をよく見かけます。面白いのが、中学生でも高校生でも、こんなことが起こるんです。こうした症状を持った生徒全てというつもりはありませんが、割と多くの生徒が、国語であまり得点できていないように感じます。同じ言語について扱う科目として、なにか能力的な関連があるのではないかと思うのです。
実際にそうした子に現代文の指導を1か月ほどしたり、または参考書を指定して進めるように指示すると、じわじわと英語の成績も伸びるなんて子がよくあります。ちなみに私はこうした子たちとは全く逆で、最初に得意になったのは国語でした。そこから英語もある程度はできるようになったという感じです。
英語と国語は、突き詰めれば同じことをやっている
我々日本人は、特に受験生であれば、英語で書かれた文字列を、日本語を介することによって理解します。ここ最近は、「英語を英語で理解しよう」というようなことが巷に溢れていますが、確かに理想的ではあるものの、あまり現実味があるようには感じません。そこまでの能力を身に付けるには、相当な量の英語を聞き、読む必要があるからです。他の教科もちゃんと勉強しなければならない受験生にとっては、さすがに難しいのではないかと思います。
さて話を戻して、異言語である英語を、私たちは日本語によって理解することになります。だから結局は、全ての英語をできる限り頭の中で日本語に訳して、「普段読んでいる日本語の文章よりも、内容的には少し簡単であるはずの日本語を読む」という行為をすることになるわけです。となると、単語や文法がある程度完成した人間にとって、最後に必要な能力は、「日本語の読解力」ということになります。
要は、英語を読んでいるように見えて、結局は日本語の文章を読んでいるのと対して変わらないということです。
現代文はセンスか?
とある生徒にこんなことを言われたことがあります。
「今日学校の国語の先生に、現代文が苦手だからどうしたらよいかと相談したら、正直は国語はセンスだからなぁ~、といわれました…。」
私も高校時代に、現代文が得意な友達と話したときに、その子は現代文の勉強はしたことがないと言っていました。どうやら一定数国語はセンスでゴリ押しする教科であると考える人がいるらしく、先生ですらそう思っている人もいるみたいです。
現代文は「センス」でしょうか?
私の答えは、「めっちゃちゃんとした正しい読み方を、無意識でやって高得点をとってきた人間が、センスといっているだけ」です。
予備校に行ったり、参考書を買ったり、現代文の正しい読み方・解き方を指南してもう手段はいまやいくらでもあります。そこでは、「こういうときはこう読もうね」という、現代文の正しい読み方が、言語化されて書いてあります。ある程度そういう読み方をマスターすると、「あ、ここってたしかこう理解するといいんだっけ」というシーンが、問題を解く中で増えていくわけです。これは、指南された内容を「意識的」に引き出して、文章を理解しようとしているわけですが、現代文がめっちゃ得意な人というのは、そういう正しい読み方をまったく無意識でやることができるという、超人的な才能を持っているのです。
そういう並外れた能力を持つ人間と同じ土俵で勝負するのは無理があります。なら、どうするのか。「意識的に正しく読む」。それでいいわけです。
正しい読み方を身に付けよう
多くの受験生が国語と英語を併用して受験するでしょうから、どうか現代文の勉強は手を抜かないでください。結局は同じ「言語」です。読み方が大きく異なるということはありません。「具体と抽象」「論理」など、「言語」を使ってなにかを述べようとするときには、それなりに共通したシステムを用いることになります。そうした読み方を、なるべく早い段階で身に付けてください。
もちろん、単語と文法をちゃんと完成させておくのは、大前提ですよ。